少佐による強制収容所のような監視の下、
町全体が深い静寂に包まれていた。
誰も彼もが笑顔を失い、パン屋の客でさえジェフティを見ても微笑むことはなくなった。
彼らの殆どは石のような顔をしており、非常に疲れ果てていた。
この町は長い間戦火に巻き込まれていたにもかかわらず、初めて戦争の仮面が町全体を覆ったようだった。
ジェフティと私が最後の弾丸を使うチャンスもなかった。
これがプロとアマの違いなのだろうか。
計画開始当初に感じた無力感が再び私を襲った。
本部からの電報が来る瞬間までは。
私は彼らから忘れ去られたと思ったほどだ。
南極軍欧州方面鎮圧部隊の高級監査官が2日後にこの町を訪れるというのだ。
本部が面談の機会を設けてくれた。
気まぐれな神々の振ったダイスは、遂に私たちへ「20」をもたらしたのだ。
問題は、私とジェフティがそのチャンスをどう生かすかだった。
第一にこれまで使ってきた場所は使えないだろう。
第二に当日の警備は厳重に違いない。
簡単にいくはずはないだろう。
だが、これが最後のチャンスだ。
高級監査官による視察、現地部隊からすれば並大抵のことではない。
武装したヘリコプターによる護衛だけでなく、大量の側近をも連れてきた。
兵士たちは町中の大通りに交通整理するかの如く並んでいる。
ジェフティと私の視界にもそれははっきりと映っていた。
この町で最も高い時計塔の上、ここに監査官が到着すると1世紀前に作られた大時計が厳かに鳴り響く。
彼は時計台隣の広場で演説をする予定だ、そしてその瞬間こそが唯一のチャンスだった。

ジェフティと私が時計台に上ったのは早朝のことだった。
その時初めて、私たちは町にここまで眺めのいい場所が存在することに気づいた。
太陽が遠くから昇り、山全体を鮮やかな色に染め上げている。
レンガ造りの道路も漆黒の屋根も、暖かさに包まれていた。
屋根から下がった氷柱はまるで見せつけるかの如く太陽の光を反射している。
世界全てが静寂に包まれているかのようであり、地面に落ちる雪解け水の音さえも聞こえた。
そして、ジェフティと私の呼吸音も。
世界は私と彼女だけのものだった。
けど、こんな光景はもう二度と見れないかもしれない。
時計台を登りきった瞬間初めて気づいた、もう後戻りはできないと。
ただ私はそれ以上なにも考えなかった、ジェフティも同じだった。
静かに銃を構え、その瞬間が来るのを待つ。
ジェフティと私は手を取り合ったままだ。
ただ今までと違い、彼女の手はとても温かく脈動まで感じ取れた。
太陽の光に照らされた彼女はとても美しく、肩まで伸ばした銀髪は今この瞬間に一番相応しいものに見えた。
これが如何に神秘的かは、アポロンがダプネーのために書いた愛の詩でもなければ表現できないだろう。
「ジェフティ……」
「うん?」
ジェフティは首をかしげ私を見た。澄んだ瞳は無垢そのものだった。
「これが済んだら……そうしたら……一緒に南極へ行こう……」
ジェフティをまっすぐ見つめながら言葉を紡ぐのは信じられないほど難しく、舌を噛みそうになった。
「うん……」
ジェフティの顔が瞬時に赤く染まり、俯いたまま囁いた。
あの時が人生で一番幸せな瞬間だったに違いない。
全てがうまく進んでいるように見えた。
高級監査官は予定通り町に到着し、予定時刻15分前には町のメインストリート沿いを視察し始めた。
スコープを覗かなくとも人混みの中に胸いっぱいの勲章を付けた恰幅のいい将校の姿が見える。
彼はどうやってこの地位についたのか?能力かそれとも家柄か?
人柄はどうか、将校として優秀な資質を持っているのか?
これらはジャーナリストにとって格好の取材内容となっただろう。
ただ、今の私とジェフティにとって彼は一人の目標に過ぎなかった。
監査官がステージ上に上がるのを見た私はそっとジェフティの手を握った。
「始めよう」
大時計が私たちの頭上5メートルで轟音を鳴らしていた。
にもかかわらず銃声は前回と同様鋭く明瞭に響いた。
歯切れのよい音は瞬く間に空気中を伝わり、落ちていく雪の粒を粉々にしていく。
壁に当たった反響音は時計台の奏でる主旋律と混ざり合い、
そして旋律が消えた瞬間辺りは静寂に支配された。
ジェフティが命中させたのは明らかだった。
下にいた聴衆がパニックを起こし始めている。
ここからは救急班を呼ぶ声も聞こえる、作戦は成功した。
ジェフティと脱出経路を考えていた時、時計台に下っていた氷が突然バラバラと落ちた。
下にいた将校たちはそれで異変を察したのだろう。一人が叫んだ。
「誰か、時計台の頂上へ行け!」
兵士たちはこういう時、常に反応が鈍い。
ただ、ジェフティと私がここから逃げ出す方法を考えるに十分な時間ではない。
軍靴の音が下からどんどん迫ってくる。
私は不安の中にいた、捕まったら全てが終わってしまう。
銃は壁の隙間に隠した、だが私とジェフティは?
どうしようかと頭を掻きむしっていた時だった。
突然隣で服が破れる音がした。
どうしたかと私が把握する前に、百合の香りが私を包んだ。
柔らかな体が私の腕の中に飛び込み、同時に私の唇を塞いだ。
目に映ったのは銀色の髪が宙に広がり、まるで水銀が流れているかのようにキラキラと輝いているところだけだった。
周囲からの視線を一切気にすることなく私たちはキスした。
バルコニーに殺到してくる兵士たちも、下で倒れている哀れな男のことも、もはや気にしなかった。
この世界には私とジェフティしか存在しないかのようだった。
兵士たちが来た時、私たち二人はキスをしておりしかも二人とも服装が乱れていたため疑われることは何もなかった。
これほど愛し合っている人間が高級監査官を射殺した犯人だとは誰も信じないだろう。
氷が落ちたのも時計台の振動による自然現象と思われた。
ヴィーナから説教を受け、町中の若者や兵士たちから目を丸くして見られるのは避けられなかったが、それも全てどうでもよかった。
あと2日、それまで発覚しなければジェフティ一家と共に脱出できる、
南極へ戻れば全てがやり直せるはずだ。
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