少女前線世界の出来事纏め
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参考資料:
・面包房少女機密文章
・少女前線資料集「グリフィン内部文章1&2」
年表 画像





19C後半:

  • ロシア帝国、遺跡研究を開始

    ツングースカに存在した遺跡を調査していた帝国だが、1905年に遺跡システムが暴走、大爆発を起こす。

     

    20C初頭:

  • ロシア革命勃発、ソ連が成立する

     

    1938

  • 3帝国がノルトハイゼンにて「第1遺跡(Urkunde01)」を発掘

    フリッツ・トート率いるトート機関がライプツィヒ近郊で遺跡を発掘。

    遺跡が一種の生産設備であること、内部に保管されていた危険物質が人体に大きな影響を与えることを発見。

     

    1945

  • 第二次大戦終結

    ソ連は第3帝国が所蔵していた遺跡関連技術をまるごと入手。一方米国は既存技術の獲得に重点を置き、遺跡技術の取得に失敗した。

     

    1947

  • トルーマン・ドクトリン発表、米ソ二大国間の冷戦勃発

     

    1950

  • バシャールB試験場にて「海星」が稼働

    「海星」とは第1遺跡から運ばれた遺跡システムであり、電子コンピューターを使用して自己進化・修復を行う物体を生成するシステムだった。

      

    1955

  • WTO発足

    当時ソ連は部分的に遺跡技術を実用化し、米国に対して大きな優位を得ていた。

    米国はこれ以降、ありとあらゆる資源を遺跡調査に注ぎ込むこととなる。

  • 米国、南極にてD1遺跡を発掘

    南極マクマード基地地下1.1kmにて遺跡を発見。後に「ゲート」と呼称される。

    米国はここで物質転送(テレポート)実験を繰り返し実施。

     

    1961

  • 1/28、海星にて「кретин」が生産される

    кретин」(バカ)とは遺跡由来の正体不明物質、外見こそ生物に似ている物の構造は機械に近い。内部には崩壊液が充填されており、これを利用してあらゆる物を「捕食」可能だった。

    クレムリンはこれを兵器として運用することに決定。

  • 10月、モスクワ革命記念式典にてкретин」が初公開される。

    遺跡兵器の公開は世界中に衝撃をもたらした。式典の翌日、米国はアポロ計画を凍結し予算の全てを遺跡開発に投入する。

     

    1962

  • 10月、キューバ危機発生

    ソ連はキューバに核ミサイル、新型戦闘機、そして「кретин」を配備。これに気付いた米国は総力を挙げてキューバを封鎖した。

    最終的にソ連は「кретин」を始めとした戦略兵器を、米国は欧州配備の核ミサイルを撤廃することで合意。屈辱を味わった米国は正規軍予算を削減し更なる遺跡研究を進めていく。

     

    19635

  • 北欧諸国がNATOを脱退、独自の軍事組織を設立

    キューバ危機での弱腰外交からNATOに見切りをつけた北欧諸国が新たに軍事組織を設立、独自路線を進めていく。

      

    1964

  • 東ドイツ、遺跡研究を開始

    東ドイツ政府はキューバ危機でソ連が優位だった原因を遺跡技術によるものと判断。

    Urkunde01遺跡の調査を開始した。

    遺跡調査部隊の名前は「90Wunsch

     

    196?:

  • 上海沖の北蘭島遺跡にて未知の生命体を発掘「GAVIRUL」と命名される。

     

    1969

  • 米国が崩壊液を実戦使用

    ベトナム戦争にて空母エンタープライズ所属機が崩壊ガスを使用した爆撃を実施。

    世界初の崩壊兵器使用事例となる。

     

    1971

  • ソ連でкретин」が正式採用される

    制御コンピューターによる安定に成功したкретинは、「Шука」(バラクーダ)というコード名を付けられ戦略兵器として正式採用される

     

    1973

  • OKB-10事件発生

    北極圏地下の大規模遺跡「OKB-10」にて崩壊液漏洩事故が発生。現地職員、並びにBC兵器対策を施した上で救出に向かった北方艦隊海兵隊とも通信が取れなくなる。最終的に55万トン級核爆弾で地上を焼き払い遺跡を封鎖。

  • ミハイル・セメノビッチ・ズヴィグンが16局に配属される

    OKB-10事件後、第16局に多数の人材が配属された。ミハイルはその1人であり、以降半世紀以上にわたって遺跡技術の開発、保護に携わった。

    1975

  • サイゴン陥落、北ベトナムによりベトナム全土が統一

    米国による大量の支援にも関わらず南ベトナムは消滅。米ソ両国は正面戦力以上に指揮系統・シギントの発展が重要と判断、遺跡研究もそれにならったものへとシフトしていく。

  • OGAS」の開発が加速する

    OGASは遺跡技術を使用した設計されたツリー型ネットワークであり、最上位ホストによって全てのサブホストを制御する仕組みだった。

    ソ連はOGASネットワークによってバラクーダの指揮システムを構築していく。

    1976

  • ELID患者が初確認される

    南極マクマード基地にて遺跡研究をしていた米軍兵士が謎の症状で死亡。「公式には」初のELID患者とされる。

    以降世界中でELID感染者が確認される。

     

    1980

  • カイバル峠にて「バラクーダ」が実戦投入される

    作戦目標はパキスタン領ランディコタルのムジャーヒーディン訓練キャンプ。4機のバラクーダは僅か1時間で1000人規模のムジャヒーディンと軍事顧問団を殲滅した。

    作戦後、バラウーダー輸送中に漏れ出た崩壊液による汚染が確認される。

     

    1981

  • 「遺跡武器制限条約」締結

    際限なく続く遺跡兵器の使用、それに伴うELIDの拡散に不安を抱いた米ソは互いの遺跡兵器開発、備蓄状況を公開。

    同時に遺跡の軍事利用中断、開発済み兵器の解体を宣言した。

     

    1983

  • ジュネーブ宣言

    米ソが冷戦の終結を宣言。

     

    1991

  • ソ連崩壊、ロシア連邦誕生

    ソ連崩壊に伴い遺跡兵器、特に崩壊液の第3勢力流出が懸念される。

     

    1992

  • UN遺跡部門設立

    2033年に解体されるまで、彼らが遺跡開発を主導していく。

  • GAVIRUL再現計画が実行される

     

    2012

  • GAVIRUL再現計画の失敗が宣言され、計画自体も凍結する。

     

    2023

  • 南極氷河地下で史上最大の遺跡が発見される

    2025年からUN遺跡部門による本格的な開発がスタート、2029年には大規模な滑走路・港湾設備を擁し1万人が居住可能な巨大基地となる。

     

     

     

    2030/1/7 1517

    北蘭島事件発生

     

     

    続く・・・