近代遺跡の研究
映像資料:
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この映像資料は機密文章<Baoht-Z'uqqa-Mogg-1973-05-12>に関連するものです。関連資料の閲覧権限を持たない場合速やかにセキュリティ職員が急行、懲戒措置をとります。60秒以内に正しい認証情報を入力して下さい。
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映像:
ガラス越しに見える実験室の内部で1人の被験者が手術台上に拘束されている。黄色のガスが徐々に実験室内部へ注入されていく。被験者に動揺は見られず、黄色のガスは徐々に液化しガラスの内側で泡立っている。被験者が悲鳴を上げる。彼の肌は液体に侵食されていた。それはどのような酸の溶解作用とも異なっており、液体に触れた皮膚が溶け骨が露出する光景は、まるで見えない何かに食われているようだった。
…これはD9ベータ・ズマ遺跡(ワイオミング州ウォーレン空軍基地)にて行われた最初の実験映像である。我々が最初に遺跡で発見したのが、まさにこの高分子気体だった。抽出し研究した結果、この気体を物理的に変化させるのはほとんど不可能だったが、有機物と接触したときのみ自然に液化することを発見した。液化したガスは有機物を侵食し、完全に浸食し終わると気体の状態に戻った。この実験では内部で唯一の有機物である被験者に液体が付着してから皮膚組織が完全に溶解するまで約300秒かかった。
抽出作業にて、米国はこのガスを130トン入手。各地の研究所に少量を分配し、残りをD9ベータ・ズマ地下300mの格納庫へ保管した。1968年、リンドンB,ジョンソン大統領の命令で3つのコンテナに載せられた計3トンの気体が補助設備と一緒にトンキン湾へ展開する空母へ密かに輸送され、ベトナム戦争で実戦試験された。実験の際、機密保持のためARPAはそのガスを「補充推進剤」と呼称し、政府の書類上では存在が秘匿された。爆撃任務を受けた艦隊は特別な改造を施したF-4を搭載した。この部隊は「サンダーキャット」のコードネームを持つ「シフター」直属部隊だった。米軍がベトナム戦争で実施した「実験」の回数は不明である。しかし1975年のベトナム撤退時、運び込まれた3つのコンテナはあらゆる回収品リストに載っていなかった。3トンのガス全てが使用されたと考えるのが妥当だろう。
映像資料:
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この映像資料は機密文章「Basatan-19XX-XX-XX(034)」に関連するものです。関連資料の閲覧権限を持たない場合速やかにセキュリティ職員が急行、懲戒措置をとります。60秒以内に正しい認証情報を入力して下さい。
高空撮影写真:
緑豊かな熱帯雨林が写真の大部分を占める。よく見ると、森の中に兵士や隠蔽された車両が確認できる。
次の画像では密林の中に突如として直径500m程の空き地が見える。地表は焼け焦げており、一枚目の写真で見えた車両の残骸は確認できるものの、森と兵士は完全に消えてしまっている。
…これはベトナムで行われた実験の1つであり、写真の撮影間隔は1時間である。指定された実験エリアへB-52による爆撃を行った後、F-4部隊がガスタンクを1つ投下した。爆撃の惨状はホーチミンルート付近の森全体へ広がっていった。偵察写真からベトコンが爆撃を避けてここに集結していたのは明らかであったが、範囲内の土壌は高温のため全域で焼け爛れそこに存在した有機物は全て消滅、車両の残骸のみを残し人間がいた痕跡すら残らなかった。
これは人類史上初めて遺跡の産物が戦争に使用された事例である。1981年のドレスデン会談で、米国政府とARPAは遺跡の技術を兵器として配備・運用したことは決して無いと断言した。しかし、ソ連が「使用人」の存在を公表し、関連データの交換を提案したところARPAもこれを受諾し情報を公開した。
1971年にはソ連のバシャールB生産施設にて進展が見られた。MJシルチュビア教授主導の下、ソ連研究陣は「使用人」の安定化に成功したのだ。このとき初めて「使用人」の詳細が明らかになった。
「これは生物と言うより…むしろ一種の機械に近い。私たちは、バシャールBに建設した摸擬生産システムで同様のものを「複製」し、「育成」することができる…ロモノソフ大学のノミスキー教授が提唱した理論は正しかった…我々は、使用人を制御することができる…」
しかし、バシャールBにて生産される製品の出荷量は年4~6体に過ぎなかった。遺跡由来の生産工程・技術の双方を完全に把握できなかったため、ソ連側は複製工程を改善し生産量を増やすことができなかった。
もちろん、神は常にソ連へ微笑んでくれたわけでは無い。1970~80年までの10年間、ソ連の遺跡研究は大きな進展を見せなかった。複数の研究所でそれぞれ研究を進めるという非効率的な方式を取っていたことが原因であり、遺跡間に広がる広大な大地が研究者の情報共有を妨げていた。MJシルチュビア教授は遺跡研究を管轄するKGB第16局を数回訪ね、米国の研究システムを模倣し国立ロモノソフ大学を遺跡研究の統括役にしてくれないかと頼み込んだ(第16局は遺跡研究専任で無く、本来は行政情報工作を主任務としている部門である)。が、この提案は当時のソ連で到底受け入れられないシステムであり、彼の意見は無視された。その後1973年5月にOKB-10事件が発生、ソ連の遺跡研究体制は変革を余儀なくされた。
1973年5月12日、北極圏にある遺跡OKB-10からロモノソフ大学と第16局に向けての通信が途絶した。原因は不明であり、調査と救出のため北方艦隊海兵隊が現地へ派遣された。しかし、彼らはそこで正体不明の「敵」と遭遇、状況はすぐに伝えられたが救出部隊は生物災害による浸食を受け、事態は最悪の方向に進んでいった。我々の把握した情報によると、ソ連が最後に派遣した救助部隊は全員がクラスⅢBC防護具を装備していた。これは当時、あらゆる生物・科学汚染地域でも1時間以上生存できるよう設計されたものだ。しかし実際には彼らは派遣後20分も持たず全滅した。
翻訳元:http://gall.dcinside.com/mgallery/board/view/?id=bjsn&no=1202619
おまけ:遺跡リスト
作中設定に出てきた遺跡のまとめ、一部推定位置もあります。

・ソ連管轄
1:名称不明
ツングースカに存在した遺跡。1908年、制御不能となり大爆発を起こす。
2:OKB-456
シベリアヤンスク11
3:OKB-37
ウクライナ
4:OKB-10
北極。崩壊液の兵器化研究を行っていたものの、1973年に漏出事故が発生し職員、救出部隊がELID化。以降封鎖される。
5:OKB-115
千島列島択捉島
6:OKB-88
カプースチンヤール
7:OKB-413
ミンスク。遺跡の制御部にオガスが使用されていた。2032年に反乱軍が遺跡を占領するも、カーター率いる正規軍が鎮圧。
・米国管轄
8:D9ベータ・ズマ
ワイオミング州ウォーレン空軍基地。崩壊液の兵器化研究。
9:D2
ニューメキシコ州ロスアラモス
10:D51
カリフォルニア州チャイナレイク基地。テレポート研究。
11:D1ビクトル・タンゴ
南極マクマード基地。テレポート研究。
・その他
12:Urkunde01
東ドイツチューリンゲン州。第3帝国による遺跡研究が行われていた、第2次大戦後ソ連が接収。
13:北蘭島遺跡
上海沖。GAVIRULの遺体を発見、2030年に北蘭島事件発生。
14:南極地下大規模遺跡
2023年に発見、国連主導で開発が進められる。後の南極連合母体となる。
ガラス越しに見える実験室の内部で1人の被験者が手術台上に拘束されている。黄色のガスが徐々に実験室内部へ注入されていく。被験者に動揺は見られず、黄色のガスは徐々に液化しガラスの内側で泡立っている。被験者が悲鳴を上げる。彼の肌は液体に侵食されていた。それはどのような酸の溶解作用とも異なっており、液体に触れた皮膚が溶け骨が露出する光景は、まるで見えない何かに食われているようだった。
…これはD9ベータ・ズマ遺跡(ワイオミング州ウォーレン空軍基地)にて行われた最初の実験映像である。我々が最初に遺跡で発見したのが、まさにこの高分子気体だった。抽出し研究した結果、この気体を物理的に変化させるのはほとんど不可能だったが、有機物と接触したときのみ自然に液化することを発見した。液化したガスは有機物を侵食し、完全に浸食し終わると気体の状態に戻った。この実験では内部で唯一の有機物である被験者に液体が付着してから皮膚組織が完全に溶解するまで約300秒かかった。
抽出作業にて、米国はこのガスを130トン入手。各地の研究所に少量を分配し、残りをD9ベータ・ズマ地下300mの格納庫へ保管した。1968年、リンドンB,ジョンソン大統領の命令で3つのコンテナに載せられた計3トンの気体が補助設備と一緒にトンキン湾へ展開する空母へ密かに輸送され、ベトナム戦争で実戦試験された。実験の際、機密保持のためARPAはそのガスを「補充推進剤」と呼称し、政府の書類上では存在が秘匿された。爆撃任務を受けた艦隊は特別な改造を施したF-4を搭載した。この部隊は「サンダーキャット」のコードネームを持つ「シフター」直属部隊だった。米軍がベトナム戦争で実施した「実験」の回数は不明である。しかし1975年のベトナム撤退時、運び込まれた3つのコンテナはあらゆる回収品リストに載っていなかった。3トンのガス全てが使用されたと考えるのが妥当だろう。
映像資料:
警告:
この映像資料は機密文章「Basatan-19XX-XX-XX(034)」に関連するものです。関連資料の閲覧権限を持たない場合速やかにセキュリティ職員が急行、懲戒措置をとります。60秒以内に正しい認証情報を入力して下さい。
高空撮影写真:
緑豊かな熱帯雨林が写真の大部分を占める。よく見ると、森の中に兵士や隠蔽された車両が確認できる。
次の画像では密林の中に突如として直径500m程の空き地が見える。地表は焼け焦げており、一枚目の写真で見えた車両の残骸は確認できるものの、森と兵士は完全に消えてしまっている。
…これはベトナムで行われた実験の1つであり、写真の撮影間隔は1時間である。指定された実験エリアへB-52による爆撃を行った後、F-4部隊がガスタンクを1つ投下した。爆撃の惨状はホーチミンルート付近の森全体へ広がっていった。偵察写真からベトコンが爆撃を避けてここに集結していたのは明らかであったが、範囲内の土壌は高温のため全域で焼け爛れそこに存在した有機物は全て消滅、車両の残骸のみを残し人間がいた痕跡すら残らなかった。
これは人類史上初めて遺跡の産物が戦争に使用された事例である。1981年のドレスデン会談で、米国政府とARPAは遺跡の技術を兵器として配備・運用したことは決して無いと断言した。しかし、ソ連が「使用人」の存在を公表し、関連データの交換を提案したところARPAもこれを受諾し情報を公開した。
1971年にはソ連のバシャールB生産施設にて進展が見られた。MJシルチュビア教授主導の下、ソ連研究陣は「使用人」の安定化に成功したのだ。このとき初めて「使用人」の詳細が明らかになった。
「これは生物と言うより…むしろ一種の機械に近い。私たちは、バシャールBに建設した摸擬生産システムで同様のものを「複製」し、「育成」することができる…ロモノソフ大学のノミスキー教授が提唱した理論は正しかった…我々は、使用人を制御することができる…」
しかし、バシャールBにて生産される製品の出荷量は年4~6体に過ぎなかった。遺跡由来の生産工程・技術の双方を完全に把握できなかったため、ソ連側は複製工程を改善し生産量を増やすことができなかった。
もちろん、神は常にソ連へ微笑んでくれたわけでは無い。1970~80年までの10年間、ソ連の遺跡研究は大きな進展を見せなかった。複数の研究所でそれぞれ研究を進めるという非効率的な方式を取っていたことが原因であり、遺跡間に広がる広大な大地が研究者の情報共有を妨げていた。MJシルチュビア教授は遺跡研究を管轄するKGB第16局を数回訪ね、米国の研究システムを模倣し国立ロモノソフ大学を遺跡研究の統括役にしてくれないかと頼み込んだ(第16局は遺跡研究専任で無く、本来は行政情報工作を主任務としている部門である)。が、この提案は当時のソ連で到底受け入れられないシステムであり、彼の意見は無視された。その後1973年5月にOKB-10事件が発生、ソ連の遺跡研究体制は変革を余儀なくされた。
1973年5月12日、北極圏にある遺跡OKB-10からロモノソフ大学と第16局に向けての通信が途絶した。原因は不明であり、調査と救出のため北方艦隊海兵隊が現地へ派遣された。しかし、彼らはそこで正体不明の「敵」と遭遇、状況はすぐに伝えられたが救出部隊は生物災害による浸食を受け、事態は最悪の方向に進んでいった。我々の把握した情報によると、ソ連が最後に派遣した救助部隊は全員がクラスⅢBC防護具を装備していた。これは当時、あらゆる生物・科学汚染地域でも1時間以上生存できるよう設計されたものだ。しかし実際には彼らは派遣後20分も持たず全滅した。
翻訳元:http://gall.dcinside.com/mgallery/board/view/?id=bjsn&no=1202619
おまけ:遺跡リスト
作中設定に出てきた遺跡のまとめ、一部推定位置もあります。

・ソ連管轄
1:名称不明
ツングースカに存在した遺跡。1908年、制御不能となり大爆発を起こす。
2:OKB-456
シベリアヤンスク11
3:OKB-37
ウクライナ
4:OKB-10
北極。崩壊液の兵器化研究を行っていたものの、1973年に漏出事故が発生し職員、救出部隊がELID化。以降封鎖される。
5:OKB-115
千島列島択捉島
6:OKB-88
カプースチンヤール
7:OKB-413
ミンスク。遺跡の制御部にオガスが使用されていた。2032年に反乱軍が遺跡を占領するも、カーター率いる正規軍が鎮圧。
・米国管轄
8:D9ベータ・ズマ
ワイオミング州ウォーレン空軍基地。崩壊液の兵器化研究。
9:D2
ニューメキシコ州ロスアラモス
10:D51
カリフォルニア州チャイナレイク基地。テレポート研究。
11:D1ビクトル・タンゴ
南極マクマード基地。テレポート研究。
・その他
12:Urkunde01
東ドイツチューリンゲン州。第3帝国による遺跡研究が行われていた、第2次大戦後ソ連が接収。
13:北蘭島遺跡
上海沖。GAVIRULの遺体を発見、2030年に北蘭島事件発生。
14:南極地下大規模遺跡
2023年に発見、国連主導で開発が進められる。後の南極連合母体となる。
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